2010年2月12日 (金)

故郷東京の原風景

Photo

出張で久しぶりに東京に。写真は生まれたときから毎年家族で初詣に訪れていた深川のお不動さま。東京に行ったときには必ず参拝する私の信仰の原点であり懐かしい原風景。すぐ隣の富岡八幡宮にも参拝。父とよく来た思い出の地だ。

その後,水天宮・明治神宮にも参拝。帰りは原宿からJRに乗って帰路に着いた。

短い滞在だったけど,やはり故郷はいいものだ。

故郷・東京の神々様,十方の諸仏諸天様,どうか私の大切な街とそこに住む大切な人々を未来永劫護り給え。

                                合掌

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2010年1月24日 (日)

干支の寅

Photo 今日は父の命日なので,家族で菩提寺にお参りしてきました。帰りに「日本三虚空蔵尊」のひとつにも参拝してきました。ここは「丑・寅」の守り本尊「虚空蔵菩薩」を祀る寺院。境内にみごとな寅の置物があり,撫でると御利益があるとか。なぜか口の中にお賽銭がつまっていました。

 父が幼い頃,よくこの場所まで友達と来て遊んだという話を生前に聞かされました。きっと今日は父も一緒にお参りしていたと思います。

 お父さん,ありがとうございます。

 感謝,合掌。

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2010年1月 4日 (月)

新年にあたって

2010  あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

 写真は,大晦日から1月2日にかけて降った大雪の様子です。車を“発掘”するのに大変でした。

 多くのみなさんは,今日から仕事始めですね。今年も1年,感謝と情熱をもって仕事に邁進したいものです。私は,午前中に顔出しをして午後は帰宅しました。明日からは本格的に新学期の準備に入ります。

 さて,私の仕事柄,毎年受け取る年賀状の中には,教え子からのものがずいぶんあります。その中でも,ずっと以前に受け持った子どもからの便りは,特に懐かしく嬉しいものがあります。それらを読み返しながら思い出した話を今日はひとつご紹介します。 

 ある日,漢字練習の宿題をなかなか出さない女の子がいました。いつも忘れずに出す子なのにおかしいなと思って,○○さん,宿題まだ出てないんだけど・・・。」と声をかけると,途中までなので・・・。」という元気のない応えが。途中でもいいから出して。」と言うと,その子は,伏し目がちに恐る恐るノートを持ってきました。途中までといっても,四分の一くらいしかやっていないノートを見て,うん,よくやってきたね!字もきれいだ。」と声をかけました。それを聞いてやっと気持ちが和らいだのか,その子がにこっと笑顔を見せたとき,私はあることに気がついてまた声をかけましたお母さんが入院していて大変だね。弟さんや妹さんのお世話をしながらよくがんばってこれだけ書いてきたね。偉いぞ!」と。そのとたん,いきなり大粒の涙を流してその子は泣き出してしまいました。

 次の日,その子は宿題をきちんと最後までやってきました。

 “宿題を出していない”という事実をそれだけで捉えたら私たち教師は,何らかの指導,または懲罰を与えないといけません。また,“途中までしかやっていない”という現実を見たら叱責する可能性もあります。何れの見方も「見たまま」で子どもの行為を捉えたものです。しかし,子どもの行為の背景や表情の“奥にあるもの”を見取ろうとする「意味をとらえる」見方をすると相手のよさを引き出すことができるのだと思います。

 これは,子どもの教育だけでなく,社会や職場の人間関係においてもあてはまることではないかと思います。

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2009年12月20日 (日)

やはり野におけれんげ草

 先日,「水戸黄門」(再放送の録画)を見ていたとき,ご老公が領主を諭す場面の中で引用していた言葉。元は江戸時代の禅僧、滝野瓢水(ひょうすい)の「手に取るな やはり野におけれんげ草」という俳句の中の言葉だが,私が初めて聞いたのは,さだまさしさんの歌の歌詞で,確か「指定券」という歌だったと記憶している。
 意味は「れんげ草は野原で咲いているからこそ美しいように,人もその人に合った環境に置くのがよい」といったところが一般的な解釈のようだ。しかし,もっと深く考えれば,「自分が置かれている環境,家庭・学校・職場・人間関係等が今の自分にとって最もすばらしいところだ」とも読み取れるかと思う。
 

 年末年始は,家族と一緒に過ごす時間が多くなります。あらためて自分のすぐ近くにいる「大切な人たち」の存在のありがたさに感謝したいものですね。

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2009年12月 3日 (木)

柾(まさき)の実が成りました

Photo  自宅の庭に「柾(まさき)」の実が成っているのを昨日母が見つけた。家の生け垣としてよく植えられている植物だが,我が家にはこの1本だけ。神棚に奉納する榊と間違えて,数年前に私が植木屋さんから購入し植えたものらしいが,実をつけるのは初めてだ。「いいことがある兆しだね!」と家族で愛でている。早速,神棚と仏壇に飾るとこれがまた美しい。花言葉は“知慮”

 自然にはこのような美がたくさん隠れていることに,あらためて感動した。そして,我々個々の人間にもまだ気づいていないすばらしさや潜在能力が“埋蔵”されていることに気付き,それを賛嘆することでそれらを潜在から顕在へと導き出すことができるのだと,教えられたのである。

 今の世の中が不況や人心の荒廃で暗いと嘆く前に,もっと世の中のよい面や人々の美点を見いだしていくことが幸福を引き寄せる大きな鍵になるのではないだろうか。

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2009年11月23日 (月)

最近のテレビ番組に疑問???

Photo  3連休の最終日,今日は新嘗祭。戦後は「勤労感謝の日」となったが,今年の作物の実りに感謝し神様に神饌を奉納する行事は,この時期世界各国でも行われているようだ。勤労は確かに尊いが,その働く力の源である食物を豊かに恵んでくれる天地の恩恵にこそ感謝しなければならないと思う。

 今日は午後から家族で近くの“道の駅”まで足を延ばし,文字通り土地で“収穫”された食材を仕入れて来た。帰宅して新聞に目を通し,何か興味深い番組がないかテレビ欄を見ながらうんざり。「まったく興味を惹かれる番組が無い!!」この体たらく。テレビやマスコミは,もともとあまり信用していない私であるが,祝日というのにこれほどつまらない番組ばかりとは情けないというより悲哀さえ感じる。唯一見たい番組といえば「水戸黄門」それも30年以上も前の再放送だ。確かに「東野英治郎」さんが演じていた頃の水戸黄門は,迫力があり,ストーリーも最近のものよりも深刻でスリリングだったから見応えがある。夜8時からの新シリーズもそれなりに斬新さを売りにしているようだが,昔の内容にはかなわないようだ。さらにアニメでも「ドラゴンボール」のオリジナルカット版再放送が子どもたちの間でも,本放送当時見ていた親の間でも人気だという。

 そういえば,関東地方か東北地方のある平日のテレビ視聴率でトップだったのが,水戸黄門の再放送だったという皮肉なデータがあるがこれも頷ける。どうやらテレビ界,特に民放の放送は“断末魔”を迎えているようである。

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2009年11月16日 (月)

小さな奇跡

Photo  一昨日,私の学校で「学芸会」が行われた。今日はその振替休日。県内の小中学校では,「新型インフルエンザ」の流行のため,学芸会の中止または延期を余儀なくされるところが多い中,本校では“全校児童出席”で大盛会だった。実に有り難く,すばらしいことで感謝している。こうした“小さな奇跡”を当たり前のこととして見過ごさないようにしたいものだ。

 もちろんその背景には,徹底した感染予防(手荒い,うがい等)の指導が功を奏したと言える。また,私の“祈り”が天に通じたのかな?とも考えられる。ともあれ,当日は小さな体育館一杯の保護者や地域の方々が観覧する中,子どもたちが練習の時以上の名演技を披露してくれ,感動の渦に包まれたことは言うまでもない。

 ここ数年,「学校五日制」に伴って,授業時数確保のために学芸会や運動会といった学校行事を縮小または廃止する学校も少なくないという。しかし,本校のような小規模で地域に密着した学校では,こうした行事が保護者や地域の方々にとって何よりの楽しみなのだ。さらにこうした大きな行事を通して学校・家庭・地域の連携が図られ,子どもたちの健全な育成にも大きく影響することにもなる。そうしたたくさんの人たちの願いと協力が,インフルエンザ流行の中“欠席ゼロ”での学芸会を実現させる力となったのであると思う。

『The ordinary is more wonderful then a miracle.』

 

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2009年11月 8日 (日)

似非スピリチュアルにご用心!

Photo  最近のスピリチュアルブームについて,私の考えを何度か書いてきたが,結論から言ってしまえばその多くは“神無き信仰”という危ういものばかりである。つまり,スピリチュアルな(=精神的な・霊的な・宗教的な)分野を知識や統計学で解釈し,宗教的・霊的なものから逃げようとする傾向があるということだ。

 確かに,この世の中は物質的・可視的なものばかりで動いているわけではない。目に見えない精神的・霊的な世界が厳然と存在していて,我々の生活や健康,運命までも時には支配している。病気や不慮の事故などにもそうしたものが原因していることも否めない。だからといって,それらから逃れる手段として,占いや霊視,パワー○○等を安易に用いるのはどうかと思う。対症療法では根本的な解決にはならないのである。占いや霊視というものがある程度当たるのは,それらがまだ物質界に執着している低い階級の霊的存在(動物霊や時には中途半端な修験者の霊)であり,この現象界の出来事を霊的雛形の段階で感じることができるからである。

 人がある運命に導かれたり,引き寄せられたり,引き寄せたりするのにはその人自身の人格の向上に必要な課題であることも多い。もちろんこの中には霊的な因縁や導きもあるだろう。その課題を解決するのはあくまでも自分自身である。この“自分自身”というのは,“絶対神”と繋がる本当の“自分自身”のことを指す。この“本当の自分自身”を見出し,“本当の神”と繋がるためには,どうしても正しい信仰と正しい祈り,そして正しい指導者の存在が必要である。

 ここで「正しい信仰」「正しい指導者」と書くと,読者の中には「そんなものをどうやって判別できるのか?」と反論される方もおられるであろう。しかし,その答えは既に多くのスピリチュアル研究者が出しているように思う。要するに,

 ・大金を要求してお守りや先祖供養を強要してくるものは偽物

 ・一種の「終末論」を展開して恐怖を煽る宗教は偽物

 ・自分の理論(または教理)だけが正しいとする独善的・排他的な理論は偽物

 ・指導者(教祖・教主)自体を神や絶対者として崇める宗教は偽物

ということになるだろう。やはり我々は,自分自身の内面とシッカリ向き合い,その本来心から発する自主的な判断と努力とで,今目の前にある困難や課題を解決していくことが“正統派”のスピリチュアリストの生き方であると思うのである。

 キリストは云い給えり,『神の国は汝らの内にあり』

 

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2009年11月 3日 (火)

秋の虹

Photo  今日は文化の日。休日がカレンダー通りの私は,いつもよりかなり寝坊して,のんびりとした祭日を過ごした。今日は元は「明治節」。だから東京の明治神宮では,祭典が催されたことだろう。そんな関東地方も昨日の氷雨から急に気温が下がったと,友人から携帯にメールが届いた。ここ東北でも,山沿いは初雪が降り,高い山々では初冠雪が観測される寒さだった。

 午前中は日差しもあったが,午後はにわか雨が降り「きつねの嫁入り」?が見られた。ふとベランダに出てみると,秋の虹が美しく西の空に架かっていたので,携帯のカメラ機能で撮影した。あまり写りはよくないのでその感動が伝わる写真ではないことをお許し願いたい。

 この写真を添付したメールを友人に送って近況を尋ねた。「新型インフルエンザ」が流行していて,同僚に罹患者が出たとのこと。お互い健康には注意しようというやりとりをした。

 夜は夜で,満月を愛でることができた。薄曇りの雲間から,「浄円月」の光が仄かに差して,なんともいえぬ幽玄な光景だった。「今日の日課の“精神統一”は『浄円月観』だ!」と決め,先程まで静かに瞑想をしていたところ。

 そろそろ母から「お参りするよ。」という声がかかる時刻だ。穏やかな秋の祝日を平凡に,心静かに過ごせたあたりまえの幸せを父や祖父母,ご先祖様に感謝しつつ,“般若心経”と“延命十句観音経”を誦げて早めに床に就くことにしよう。

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2009年11月 1日 (日)

くろぶち眼鏡・2

  Photo_2          最近私は眼鏡のスペアを作った。今年に入ってから視力が少し落ちてきたために,新しい眼鏡を作ったのだが,万が一普段使用しているこの眼鏡にトラブルがあった場合,車の運転等生活に支障を来すからだ。子どもの頃は,眼鏡をかけるということに一種の憧れを抱いた時期もあったが,長年使用しているとこんなに不便なことはない。なにしろこれがなくては生活ができないからだ。

 眼鏡屋さんで注文した物は,今までより少し縁が小さめだが,細い黒縁のチタンフレームでレンズの下半分を“テグス”で釣ったもの。これだと視野が広いし,なにしろ軽い!最近流行の分厚い黒縁フレームは,どうも私には不向きなようだ。眼鏡屋さんのご主人と最近の流行について雑談をしたが,やはり芸能人がしているような眼鏡は機能性が低く,お勧めでできないとのことだ。特に極端に縁が太いものやアクセサリー感覚のものは,就職試験の時などには悪い印象を与えるので考えものだと話されていた。

 流行に乗ることは時には必要であると思うが,やはり生活に必要な器具についてはその機能性を最優先に考えて選ぶものではないかと思う。 

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2009年10月13日 (火)

秋休みのひととき

Photo  この地方の学校は明日まで「秋休み」。私も今日は休みをもらって,秋晴れの空の下を散策してきた。写真は近くの牧場。先日紹介した「アルプスの少女ハイジ」の世界によく似ていたので,思わず携帯のカメラで撮影した。

 秋の風は爽やかで,夏の夕暮れの風とはまた趣の違った涼しさがある。少し小高い牧場を吹く風には,街中とまた異なる“色”が感じられた。そう言えば先週,「台風18号」がこの真上を通過していったのだが,その傷跡ひとつ見られない長閑な風景にしばし日々の疲れを癒してもらった。

 昨日は家族そろってお彼岸の後かたづけを兼ねて墓参をしてきた。墓の周りは台風の強風で飛んだ杉の葉が散らばっていたので,それを片づけ家の庭から持って行った小菊と榊の葉を供えて,般若心経を唱えてきた。亡き父とご先祖様に心から感謝を込めて。

 ここで一句,

 お父さん 天国も今 秋ですか   こんちゃん 心の俳句

 

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2009年9月27日 (日)

友との旅・昭和への想い

Photo  写真は先の連休に友人と立ち寄った「某民族資料館」の展示物。昭和30年代後半の一般的な家庭の食卓を再現したものだ。テレビも置いてあって,なぜか「東京オリンピック」の映像が流れていた。東京オリンピックを“生中継で見た”世代にとっては,なんとも懐かしい映像だった。

Photo_2  下は別の角度から撮った様子。台所の雰囲気もまた懐かしい。

 最近,妙に「昭和」という時代が懐かしく感じられるのは,年のせいだけではないようで,テレビでもたびたび昭和の名(迷)番組?が再放送されていることなどを考えると,多くの日本人が,決して豊かでも,今より便利でもなかったあの時代の“よさ”に憧れているように思われる。携帯電話もパソコンもTVゲームもなく,就職難もリストラもなかったあの時代。でも,誰もが夢と向上心をもっていたからなのだろうか。今の時代は,あまりにも便利になりすぎてしまって,面倒なことや億劫なこと,ましてや“理想の世の中をつくってやろう”などという野心などは笑いのネタになってしまうようで悲しい。

 昭和という時代に想いを馳せながら,この平成の時代に生きる者として,新たな希望や夢をもとうじゃないか!そう友と語り合ったひとときであった。

 

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2009年9月15日 (火)

昔のアニメは・・・

Photo 写真は,夏休みにスイスへ旅行した友人から送ってきた「アルプス地方」の風景。子どもの頃夢中で見た『アルプスの少女ハイジ』の世界を彷彿とさせる。私の年代には,アニメでも良い作品が多かったように思う。『フランダースの犬』では,貧しくても夢を捨てずに懸命に生きるネロの姿に励まされ,ネロを虐めるアロアの父や召使いの行動に怒りを覚え,「虐めや差別は許せない!」という道徳心を育てられた。最終回にネロとパトラッシュが天使に導かれて天国にのぼる場面では,号泣したのをいまでも忘れない。

 『アルプスの少女ハイジ』では,ハイジの純粋さに頑なで偏屈な『アルムおんじ』が少しずつ変わっていき,最後は『クララ』の病が癒されるというストーリーを通して,素直な生き方の尊さを学んだように思う。

 その他『魔法使いサリー』,『みなしごハッチ』,『ケロッコでめたん』,『いなかっぺ大将』なども心に残るアニメだった。どれも道徳の教科書以上に,といったら語弊があるが,心を豊かにしてくれた名作だったように思う。

 現代の子どもたちはどんなアニメを見て,どんなことを学んでいるのだろう。何か「バトル」やら「パワー」やらを競うだけの質のよくない作品が多いのではないかと危惧している。最近,再放送で放映が始まった『ドラゴンボール』は,私が最後にはまったアニメだったが,それを見て妹が「何か惹かれるものがあるね。」といった言葉が印象に残った。

 情報やがこれほど氾濫してしまった現代。質の良いアニメや童話を子どもたちに提供することもメディアの務めではないかと思う。 

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2009年9月 1日 (火)

自分を好きになろうよ!

間って ときどき自分がとてもいやになるときがある

壁にぶつかってそれを乗り越えられないと感じたとき

小さな失敗を強く咎められたとき

やろうと決めたことを途中で投げ出したいと思ったとき

そんなときは少しだけ見方を変えて

自分を好きになるようにしてみようよ

自分のよいところを見つけてあげようよ

そうして小さな壁をひとつ乗り越えたとき

きっと新しい自分に出会える

きっと新しい明日に出会える

だから

Smile Again

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2009年8月21日 (金)

“目”に御利益のあるお守り

Photo  今日は,東北地方では夏休み最後の平日。来週から始まる授業の準備を終えたので,午後から休みをもらって車で40分ほどの「平泉・中尊寺」へ出向いた。ここには全国的にも有名な「目の病気に効く薬師如来様」がいらっしゃる。「峯薬師,願成就院」という。写真はそのお堂の前にたつ“幟”。まさに“目”の仏様らしい一見ゾクッとするような絵柄だ。

 年齢を経ると「一文字」の体の部分(毛・目・歯・手)から衰えるというが,私も最近「目と歯」に少しガタがきていることは否めない。毛と手にこないように鍛錬しないとと思っている。(毛は鍛錬できないかな?( ̄▽ ̄))

 ここへ来た目的は,自分のためだけではない。友人が最近「目の調子がおかしい」と悩んでいることを聞いて,ここのお守りを送ろうと思ったからだ。その御利益は証明済みで,母も目を患っているが,そのお守りのお陰か,悪化せずに今のところ普通の生活を送ることができている。また,以前も「失明する」と宣告された同僚にそのお守りをあげたところ,よい眼科医に巡り会って無事全快した。

 このような“奇跡”ともいえる不可思議な現象(御利益)は,何かすばらしい「パワー」がお守りないし神仏から発せられて,病気が治るというわけだけではないように私は思う。もちろん,そのような神秘な力の存在は否定しないが,それを持つ人の心のやすらぎや「これで治るぞ!」という強い信念が必要な条件を引き寄せる場合の方が大きいと思うのである。

 中尊寺への往路,車の中で甲子園の実況中継を聞いていた。応援している「花巻東高校」がエースの故障という逆境をはね返して,延長戦で逆転勝利をした瞬間を喜びつつ,ハンドルを握っていた。

 中尊寺の参道には「月見坂」というかなり険しい道があるので,雨上がりの蒸し暑い中,大汗をかきながらの参拝だったが,夏休みで少しなまった身体には,よい運動にもなった。

友人の目の病気が1日も早く全快することを祈る!

 

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